案内された部屋のドアをあけ、
「オリガ、ともうします」
 目の前で三つ指をつく女性をみて、動きを止めた。
「今日は、」
 そういいながら顔をあげた女性は、同じように動きを止めた。
 一拍の沈黙。
 とりあえず、開けっ放しだったドアを後ろ手でしめると、
「なにやってんだよ、ノエル」
「あんたこそ、なにやってんのよ、ソル」
 なんとなく間抜けな空気を感じながら二人は呟きあった。

 超興ざめ、と呟きながら、ソルであることを理解した途端、適度に露出の高かった服の上に迷い無くストールを羽織る。
 部屋の中を隈無く見回すソルに
「盗聴器とかならないわよ。そんなものつけられるヘマはしない」
 優雅に微笑んでみせる。
「じゃあ聞くけど、何してんだよ?」
「潜入捜査」
「こんなところで?」
「こんなところにきた男が何を言うの」
 ふん、と鼻で笑い、ベッドに腰掛ける。
「金で女買うなんて、不潔ー、さいてー」
 あのなー、とため息をつきながら、しかたなくノエルの正面、床に座りこむ。
「リリスに手、出したら怒るだろ、お前」
 寝ているのを確認して宿屋に置いてきた、旅の相棒を思い出す。
「当たり前じゃない。同意の上でも怒るわよ」
「でも、他に女いなかったら、いい年した男が、とか言うだろ、お前」
「言うわよ? 身持ちが堅いにも程が有るわねー」
 さらにため息。
「じゃあ、なんでそういういい方するんだよ」
「男ってそういう生き物だとわかっていても、元同僚のこの体たらくはやっぱりなんか嫌ねー」
 膝の上で頬杖をつきながら言う。
「その言葉、そっくりそのまま返す。潜入捜査って、お前なー」
「別に、初めてじゃないし、いいじゃない」
「よくないだろ」
 睨む。
「本部長にはちゃんと言ってるのか?」
「言う訳ないじゃない」
 どういう顔して言えばいいのよ? と少し声を荒げる。
「万が一、別れるって言われたら、死ぬわよ、あたし」
 真面目な顔して言われた言葉に、一瞬たじろぐ。
「大丈夫、飲み物に睡眠薬いれて速攻眠らせたりしてるから」
「何が大丈夫なのか、もうわからん」
 ため息。
「それで、何調べてるんだ?」
「IPA辞めた人間には教えませーん」
 べぇ、っと舌を出す。そんな動作も様になるから腹が立つ。
「それにしても、あんた、意外とお金持ってるのねー。一応ここ、高級娼館なのに」
 適度な節度のある調度品を指差しながら、小首を傾げる。
「その高い金の一部がお前に回るのかと思うとうんざりするな。なんにもしてないのに」
「あら」
 すとん、とベッドからおり、ソルの前に膝をつく。少し後ずさりしたソルの首筋に手をまわし、
「今からでも相手、してあげてもいいわよ?」
「冗談やめろよ」
 その手は、あっさりと払われる。
「昔の同僚抱く程飢えてない」
「飢えてるからきたんでしょうに」
 つまんないのー、といいながら手をのける。正面に座りこんだまま。
「ばれたら本部長に殺されるし」
 言い訳のように付け足した言葉に、
「もう、本部長代理でもなんでもないわよ」
「……知ってる」
 ノエルの婚約者、元上司のエルネスト・バークレーもソルがIPAを辞めるのと同時にIPAを去っている。そんなこと、知っている。
「仲悪いっていうか、まだ許せないんだ」
 エルのこと、と呟かれた声が、いつも勝ち気な元同僚のものとは思えない程か弱くて、居心地の悪い思いがする。
「いや、許せないっていうか」
 許せないっていうか、なんだ?
 エルネスト・バークレーのせいでリリスが危険な目に遭った。そう思っている。実際にはエルネスト・バークレーは何一つ悪くないし、彼自身もどちらかと言えば被害者だけれども感情はついていかない。
「しょうがないけどね、そういうことも、あるでしょう」
 そして、ゆっくりと微笑んだ。
「ごめん、こんな話して。嫌なことあったから来たんでしょう? ストレスためるようなこと言って」
「なんでそれをっ」
 確かにちょっとイライラすることがあったのは事実だが。
「あんた、ぎりぎりまで我慢するタイプだもん。リリスちゃんに八つ当たりするわけにもいかないから、ここでストレス解消、みたいな?」
 あっけらかんと言われた言葉に、唇を噛む。この分じゃ、リリスにだってばれているかもしれない。そう思って。
「ちょっとな、依頼人がむかつくジジイで。それだけだ」
「リリスちゃんに色目でも使ったの?」
「だから、なんでっ!」
「あんた、ばればれー」
 くす、と笑う。ため息一つ。
「リリスはリリスで、あんまり気づいていないから」
「旅してきた割には、初心なところあるしねー」
 それが、あの子の可愛いところで、そのままでいて欲しいけれども、と付け加える。それには、おおいに同意する。
 ああいう下衆な目でリリスを見るなと、そういう対象にするな、と言いたい。
 彼女には、幸せになってもらわかなければならないのだ。傷つくようなことは、絶対にさせない。
 絶対に、と握った拳に、ノエルはそっと手を添える。
 それにびくっと反応したソルに、あんたも対外初心ねー、と笑ってみせる。
 そのままその手でソルの頭を撫でる。
「あんまり、思いつめないように。あんたが思いつめると、逆にリリスちゃんが気にするから」
「難しいことを言う」
 苦々しく呟かれた言葉に少し笑う。
「大丈夫、あんないい子は幸せにならなければおかしいから」
「ああ」
 力強く頷くと、頭に置いていた手が、頬に移動する。
「ノエル?」
「あんたもね」
 言って、優雅に笑む。
「あんたも、無理しないで、幸せを」
 両手で頬を包みこむ。
「つらくなったら愚痴ぐらい聞いてあげるから」
「そりゃ、どうも」
 弱々しく微笑む。
「できればこの手を離してもらえると、とりあえず今は幸せかな?」
「あら?」
 そーお? といいながら両手がゆっくりと肩の上におりる。軽く首筋にまわされる。
「ノエル」
「なあに?」
「わざとやってるだろ、お前」
 睨む。
「元同僚相手に欲情した?」
「包め! 言葉を、オブラートに!」
「否定はしないんだ」
 いいながら、顔がソルの顔の横にまで近づく。右手がそっと膝に触れる。
「この流れで、場所が場所で、相手がお前でも、っていうかお前で、割と我慢してんだぞ、今! その無駄にいい見てくれで微笑んだら、そりゃもう、普通の男ならおちるだろう」
「美しいって罪ね」
「あほなこと言ってないで」
「別に無理しなくても相手してあげてもいいのよー?」
 耳元で囁かれる。俗悪なぐらい甘い声で。
「だから」
 強引にノエルをひっぺがし、
「お前に手をだしたら、本部長には殺されるし、リリスにばれたら軽蔑されるに決まってんだろ!」
「それもそうね」
 と、あっさり腕をおろし、
「あたしも、こういうことしてるのエルにばれるのも、リリスちゃんにばれるのもいやだ」
 真面目な顔をで頷くと、立ち上がる。
「とりあえず、お酒飲もうかー」
「睡眠薬とか入ってないよな?」
「あんた相手には入れなーい」
 マジでいつもはいれてんのかよ、というつっこみには言葉を返さない。
「どーぞ」
 床に座ったまま、ワインのコルクをあける。
「高いやつだなー、こりゃまた」
「ね、もう当分飲めないわー」
 いいながらグラスをあわせる。
「あれ、じゃあ?」
「うん、あんたが最後のお客様」
 歌うようにつげ、
「最後があんたでよかった。助かった」
 素直に告げる。
「仕事でも、嫌なものはやっぱり嫌よね」
「ああ」
 それに頷き、重々しく
「嫌なら、逃げろよ?」
「わかってる、先輩のご忠告はありがたく受け取ります」
 逃走兵の先輩の、と付け加える。
「とりあえず、あんた帰ると他のお客来るかもしれないから帰んないでねー? 泊まりにした?」
「してねーよ。リリス置いてきてんだから」
 あいつが起きる前に、帰らなきゃまずいだろ。夜中なら飲み屋でごまかせても。
「じゃあ、延長して朝帰りだー」
「これ以上金出せるか!」
「大丈夫、ノエルさんが出すから!」
 くすくす笑いながらグラスをあける。
「ここで稼いだお金は、ここで消費して帰るから」
 微笑む。
「あー、飲み会だと思うことにする」
 観念して告げると、偉い、と頭をまた撫でられた。
 ストールをとり、一度廊下にでるとすぐに戻ってきた。
「大丈夫、朝まで飲むぞー」
 高らかに宣言。
「もう、ここどこなんだかさっぱりわかんねーな」
「そうね」
 いいながら、空いたグラスにワインを注ぐ。
「なあ、」
 注がれる赤い液体を見ながら尋ねる。
「なんだかんだいいながら、あそこで俺が手をだしたら、軽蔑したろ?」
「手、出したらね」
 瓶を横に置き、微笑む。
「でも、あんたがそういうやつじゃない、って知ってた」
 そうして性悪女神は微笑む。
「おまえ、本当みてくれだけはいいよなー」
 それをみてしみじみと呟く。彼女の美貌に惑わされて破滅してきた人間を何度も見てきた。見た目だけならば、IPAノンキャリアの期待の星には見えないだろう。自分の姿を見せず、的確に敵を打ち抜くことから金色の霧と呼ばれていることも。
「ありがと、褒められたと思っておくわ」
 そういって微笑む肩からストールが滑り落ちる。肩に残った傷跡。薄くはなっているけれども残っている、撃たれた痕。
 隠れているだけで、見えないだけで、その背中にも腕にも足にも、残っているであろう傷。
 人のこと言えないけど、と口の中で呟きながらグラスを傾ける。
 お互い傷だらけで、なまじ向こうは絶世の美女なだけにその傷痕は醜くさえもあるかもしれない。他人からみたら。
 それでもお互いにそれは、お互いの勲章であることを知っている。
 守るための者のために、お互いが全力を尽くした結果だ。
「ソル、いつまでこの街にいるの?」
「今すぐにでも可能ならば出て行きたいな、あんなくそ爺がいるところ」
 即答すると笑われた。けらけら、と。
 にこりと微笑む方が多い女だが、こうやって豪快に笑うことの方が似合う女だ。
「そうよねー。でも、出て行く前にリリスちゃんに会いたいな」
「ん、ああ。リリスも喜ぶだろ」
 じゃあ、適当に出会うタイミングとか考えなきゃなー、との呟きに、そうねと少し落ちた声。
 お互いに言えない。こんなところで鉢合わせしたなんて。
 娼館に女を買いに行くような旅の連れだとは思われたくないし、娼館に潜入捜査が出来るような女だと婚約者に思われたくない。例えそれが事実であったも、事実であるからこそ、隠さなければならない。
 守る者のために、守る者に対してお互いどんどん秘密が増えていく。手を汚すのは自分だけで十分。そして手を汚すところは見せられない。自分が手を汚したことに傷つくような人々だから。
「かっこわるいわね、お互い」
「まったくだ」
 同じように笑い、どちらともなくお互い傷だらけの手を握った。
「でも、これからもよろしく」
「こちらこそ」
 そうして、叶うことならば
「お互いに幸せを」