バイト帰りに玄関を開けると、 『おかえりなさーい』 居候猫が飛び出してきた。猫のくせに犬っぽいっていうか、忠犬? 猫の頭を撫でながら靴を脱ごうとすると、視界の隅に赤。うわー、なんか来てる。 「おじゃましてます」 絶妙なタイミングで嬢ちゃんが顔を出してきた。 「何しにきた?」 っていうかまた勝手にはいりやがって、ピッキング犯め。 嬢ちゃんが答えるよりもはやく、 『DVD、見せてもらうのー』 とマオの声。 「DVDねー」 いつの間にそんな約束したんだ。 「神山さんのDの発音ってデーですね」 ほっとけ。 『あのね、隆二。エミリさんに聞いたんだけど、うちのTVもうすぐ見られなくなっちゃうんだって!』 たいへーん、と背中にくっついたままのマオが騒ぐ。 「地デジ対応にしないと」 嬢ちゃんが付け加える。地デジ……。 『地デジカが言ってるもんね。可愛いよね、あの子』 誰それ? ついていけないのが顔に出ていたらしい。嬢ちゃんとマオは顔を見合わせて、わざとらしくため息をついた。 『隆二、おじいちゃんだもんね。ごめん』 「マオさん、一概に年齢で区切ってはだめですよ? しかしまあ、テレビを見ていればわかることだと思いますけどね」 『隆二、興味ないこと、本当興味示さないから』 黙ってるのをいいことに、言いたい放題いいやがって。 『まあ、いいや、エミリさん! はやく見たい』 マオは机の上に置かれた機械の前にちょこんと座って言う。座って、はもちろん気持ちだけだが。 嬢ちゃんは微笑みながらその機械をいじると、その画面になにかうつる。 「字幕と吹き替え、どっちにします?」 『洋画は字幕で、って言ってたよ』 誰が? つーか、何見るんだか。 嬢ちゃんは映像がはじまると机から離れて、ソファーに勝手に座る。マオは食い入るようにして画面をみている、猫のくせに犬っぽいなー。 「コーヒーいる?」 一応聞いてみると、 「お願いします。あ、ちなみにあれはポータブルDVDプレイヤー、というものです」 ご丁寧に妙に綺麗な発音で説明して下さる。そりゃどーも。 コーヒーいれて、いつも通りインスタントだけどいれて、戻る。 「テレビの話ですけど、物持ちいいですね。ブラウン管、久しぶりに見ました」 これが古いことぐらいは俺でも分かる、分厚TVを指差す。だまって、肩をすくめる。 マオが来るまでは、あまりテレビをつけることはなかった。 背後の音が気になる。うちの居候猫は何をみているのだろうか。 「なあ、嬢ちゃん、あれは」 尋ねようとしたとき 「ハァチィー」 背後から聞こえた声で何かわかった。 「わかったからいい」 なんでよりによって、忠犬ハチ公。それもハリウッドバージョン。確かにマオはこの俳優の不思議なイントネーションを気に入っていたが。 つい先ほど、マオのことを忠犬かなんかかと思った分、なんだか心苦しい。 ぴーぴー 突然した電子音に驚くと、嬢ちゃんがポケットから何かをだした。ああ、あれだ、ケータイ電話とかいうやつだ。 彼女はその機械を見つめたあと、 「すみません、呼び出されたので帰ります」 言って立ち上がる。 帰りますって、あの機械はどうしたら。 「終わったら、右上に電源ボタンあるんでそれ押してください。他は押さないでください。っていうか、わからなかったら余計なことしないで置いといてくださればいいので」 俺の心を読んだように嬢ちゃんが言う。ものすごく馬鹿にされている気がしたが、馬鹿にされるのもしょうがないので頷く。 機械ってなんでこうもわかんないかなー。 明日には取りにきます、壊さないでください。と何度も念を押して嬢ちゃんは帰って行った。 ソファーに横になって目を閉じる。 音だけが聞こえる。が、あいにくと英語はわからん。なにせおれのDの発音は限りなくデーに近いし。 ひとでなしの癖に心優しいうちの居候猫が鼻をすする音も聞こえる。 うっすらとしかしらない物語。 死んで帰らない主人を待ち続ける犬の話。 心ない人間は餌をもらうためだとか言うらしい。それだったらどんなにいいことか。 待たなくていいよ。 帰れない人間にとってみたら、待たれることの方がつらいんだ。 待たなくていい。待つな。 待っていても俺は帰れないから、だから、待たなくていい。もう、待たなくていい。待っていなくていい。待っていないでくれ。帰れないことを責めないで欲しい。 帰れない戻れないだからもう待たないで待っていなくていいずっと待っているなんてそんなこと嘘でも言わないで待たないでもういいから待たなくていいからそこにおれはかえれないからできないやくそくだからだからもうまたなくていいんだよ、 茜。 やばい、寝てた! と、気づいて慌てて飛び起きる。 『あ、起きた!』 俺の足下、ソファーの端に腰をかけていたマオが飛びついてくる。 『終わっちゃったからつまんなくてなんで寝てるの?』 小首を傾げる。 「眠いから?」 答えるとうそつきーと言われた。まあ、確かにあんまり眠いという概念ないが。 さっきまで泣いていたとは思えない笑顔に安堵する。泣けない俺には泣けるマオは羨まし過ぎる。 それと同時に、寝に入る瞬間考えていたことを口に出していなかった自分を褒め讃えたい。 万が一、茜のことを口に出していてそれを聞かれていたら、マオはこんなに機嫌良くないだろう。 「面白かったか?」 『ハチ可愛いよ』 「泣いてたろ?」 『ハチが可哀想で』 首筋に腕をまわされて、腹の上にのった見た目だけならいい女が微笑む。シチュエーションとしては完璧なのに、女の体から反対側から透けて見えるってやっぱりおかしいだろ。 『ハチは自分の好きで待っているのに、みんながもう帰ってこないのよ、まってなくていいのよ、みたいに言うのが可哀想で』 そしてそのおかしな女はちょっと理解不能なことを言い放った。 「は?」 『だから、可哀想でしょう? あんなに賢い子が主人が死んだことを知らないはずがないもの。それでも、自分の好きで迎えにいってその人を待っているのに、人間ってひどいよね』 ね? って首を傾げる。 なんていうか、 「相変わらず、お前の価値観は凄いな」 『なにがー?』 不服そうに唇を尖らせる。褒めたのに。 そうか、好きで待っているのか。だったら、戻らないことを責めているわけじゃないのだろうか。 帰ってこない主人相手の無言のパフォーマンスじゃないのか。 「マオ」 『なに?』 手を伸ばして頭を撫でる。 「俺が帰ってこなかったらどうする?」 『困る』 「そうだろうけど」 そういう実質的なことではなく。 『あと、多分泣く』 「泣くのか」 ちょっと意外だった。 『隆二はちょっとやそっとじゃ死なないだろうし、帰ってこないっていうことは自分の意思でもうあたしに会うのが嫌になって帰ってこないからか、じゃなかったら大けがとかして動けなくて帰って来れないかのどっちかだもん』 泣くに決まってるじゃない、と微笑んだまま言われる。台詞と感情表現があってないんだが。 「もし俺が、帰ってこなくても、ハチ公みたいに待ってなくていいよ」 好きで待っているのだとしても、パフォーマンスじゃなくても、やっぱり待たせるのはつらいから、だから。 『なにいってんの?』 マオはぎゅっと眉根を寄せると、 『あたしがそんなことするわけないじゃない』 ぐいっと顔を引き寄せられる。 近過ぎる顔が脅すように言葉を吐き出した。 『帰ってこなかったら待たないで探しに行くから』 ああ、そうだった。この居候猫はそんなに可愛い忠犬じゃなかったし、そんなに気が長い方じゃなかった。っていうか、猫だった。 『あたしから逃げるなんて許さない』 そうしてうちの居候猫は、見た目だけなら麗しい極上の笑顔を浮かべた。 どっちが飼い主なのか、わかったもんじゃない。 |
up=20091204 |